陳瀟韻 張黎黎
はじめに
北野武は中國でも有名な日本人の映畫監(jiān)督である。彼の映畫作品が人間性を深く表現(xiàn)することが故、中國の20、30代に人気が高い?!袱ⅳ蜗摹ⅳい沥肖箪oかな?!埂妇沾卫嗓蜗摹埂窰ANA-BI」、この三つの映畫のポスター①を一つのページで見てから気づいたことだ、ストーリーがそれぞれであるが、ポスターの色のトーンが同じくブルー系にされた?。これはただの偶然か、或は色彩を意識してわざとしたか、その効果はどうだろうか。北野武に関し、キネマ旬報社が出版した文集、「作家論——"旅"に"遊ぶ"北野映畫」(1999年6月)、「北野武全作品を読み解く(作品論)」(1998年2月)があり、映畫のシナリオライター、講師川辺一外も「ニュ-シネマの分析 北野武監(jiān)督「HANA-BI」の蕓術(shù)性と興行性」という論文を書いた。中國でも2000年に晏ニが書く「北野武と彼の映畫」や北京映畫學(xué)院の司達の「北野武の映畫言語研究」、屈ヒの「靜の中の暴力――北野武の暴力映畫特徴」などの文書があり、多くの學(xué)者や知識人が北野武について論じてきた。
北野武、あるいはビートたけしは日本のコメディアン、タレント、映畫監(jiān)督、俳優(yōu)。日本國外では映畫監(jiān)督としての知名度が高い。1989 年に「その男、兇暴につき」の監(jiān)督としてのデビュたー作から二十六年間、北野武が17の映畫監(jiān)督或は企畫、腳本、主演擔(dān)當(dāng)した。中には1998年公開の「HANA-BI」が國內(nèi)外で知名度が高い代表作で、1998年ニューヨーク國際映畫祭國際映畫賞を受賞し、第 54 回ヴェネツィア國際映畫祭にて金獅子賞を受賞しておる。中國では「あの夏、いちばん靜かな?!梗?991年公開)、「菊次郎の夏」(1999年公開)もよく知られている。中國一番人気な映畫コメントサイトである豆瓣ではそれぞれ 8.2 コード、2.1萬人コメントと8.7コード、13.3萬人コメントを得、ヒートだった。この三つの作品は北野武九十年代の腳本と監(jiān)督擔(dān)當(dāng)の作品で、これらのポスター、畫面の全體的なトーン、代表的な小道具の色などによく青が使われる。「キタノブルー」と言われている②。
『あの夏、いちばん靜かな?!护沃肖违芝氅`の存在と効果――純粋と希望
収集車でのごみ回収業(yè)務(wù)を仕事とする聾唖の青年·茂がごみとして出された先端の欠けたサーフボードを持ち帰ることをきっかけでサーフィンに夢中になる。同じく聾唖の彼女·貴子がよくサーフィンに付き合っている。茂が上達した腕前で大會での入賞も果たす。二人が入賞の記念撮影をした。そんなある日、いつものように貴子が海にやってくるがそこには茂の姿は無く、波打ち際で漂うサーフボードだけが殘っていた。
この作品が黒澤明に高評価された③。聾唖の戀人同士が主人公であるから、セリフが少なく、ストーリーも穏やかで、見た後、映畫の名前のように夏の一番靜かな海辺の雰囲気が深く印象に殘った。茂の初めのサーフボードがブルーとホワイトでしかも「Blue Bunny」という文字が書いてある。ブルーの海の中、茂が一生懸命練習(xí)している畫面が何回も出た、彼女の貴子が砂辺で見ている様子も彼らの戀の象徴になると思う。ブルーは茂のサーフィンへの単純な情熱、自分を挑戦し、海へ出航する意志と彼らの無言の純粋な愛の色彩であろう。茂が結(jié)局事故に遭い死んだが、その過程や発見など、直接な畫面はない、代わりに、穏やかな人がいなくなった浜辺でそれを語った。初戀がブルーの海、空、サーフボードのように切ないが、無邪気で、希望に満ちる。死亡の重さは薄いブルーのトーンと対比になり、この作品がの単なる青春映畫でなく、深さが感じられるようになる。
『菊次郎の夏』の中のブルーの存在と効果――憂うつと癒す
夏休み、一人ぼっちの小學(xué)三年生の正男は、遠く離れて暮らしているという母親に會うために、お小遣いを持って家を飛び出す。それを知って心配した近所のおばさんは、自分の旦那でチンピラ中年、菊次郎を正男に同行させて豊橋の母親のもとへと旅に出る。二人がやっと母の住所についたが母はもう新しい家族ができ、幸せそうに暮らしていることが分かった。正男が泣きながらこっそり帰ることにした。いつもがさつな菊次郎が途中に一緒に遊んでやり、正男を癒やそうとするコメディーだ。
この映畫の中、ブルーが多く使用された、明るさの程度より、二つのものを強調(diào)していると思う。ストーリーの初めは正男と友達が夏休みを向かい、學(xué)校の最終日の帰り道だった。一人ぼっちの正男の落ち込んでいる気持からだろう、空がうっとうしい青のトーンだ。チンピラ中年、菊次郎のふさいでいる情緒にもふさわしい。これは憂うつのブルーである。もう一つはより明るいブルーだ。正男が母の居場所が知り、母を探す旅を立てる時背負った天使の翼のブルーのバック、二人が一緒に遊び、仲良くなるブルーのプールと菊次郎が母と會うのを諦めた、泣いている正男を慰めるためにあげるブルーの天使の風(fēng)鈴、この三つのものがかわいそうな正男に希望を與え、不安を払拭した。結(jié)局、正男が微笑みながら、菊次郎に「おじちゃん、ありがとう?!工预?、母と予想通り合わなかったが、楽しい夏休みを過ごし、癒されたようだ。本映畫の中、ブルーは憂うつと癒すの二つの面から考えることができるだろう。母の愛が欠ける正男は天使の翼のブルーのバックにその哀れと孤獨を包む、プールで遊んでいる時、気分がよくなり、畫面も明るさのあるブルートーンになった。點にかかわらず、ストーリ―の展開に、青の明るさが雰囲気を変える。
『HANA-BI』の中のブルーの存在と効果――執(zhí)著心
妻や同僚の生と死、そして妻との逃亡を敢行する一人の孤獨な刑事の人生模様を描く映畫である。不治の病に冒され余命いくばくもない妻を見舞っていた西は、自分の代わりに張り込んでいた同僚の堀部が犯人に撃たれたとの知らせを聞く。堀部は車椅子を使わなければならない體になってしまった。西らはその後犯人を追い詰め、捕らえようとするも抵抗する犯人が発砲、部下の田中が犠牲になる。西は犯人を射殺し、何発も銃弾を撃ち込む。刑事を退職した西は堀部の絵を描く夢と田中の未亡人をサポートするために、バンクを襲い、ヤクザから金を借りた。妻に不自由ない生活を送らせようとするが、返済が滯っていく。妻と最後の旅行――死亡のハーニームーンをはじめ、結(jié)局砂辺で夫婦が射殺された。
「HANA-BI」は日本語で二つの単語で、「花」と「火」となり、ポストにあるように青の炎の燃えているひまわりが「HANA-BI」の畫像化したものである。中國バージョンでは「花火」と直接に中國語に訳してしまったが、実は「花與火」がよりふさわしい翻訳だ。④花は西が妻と同僚との感情の象徴で、生きている感じだ?;黏纤坤蜗髲栅?、暴力と闘爭の激しさを表した。映畫の前半、色の調(diào)子は寒色だ。白血病の妻を見舞うときは晝間だが、二人とも陰影の中に座り、暗くて青い空気が満ちた病室がこれから二人の運命を暗示した。明るい畫面はほとんど夫婦の死亡のハーニームーンと堀部の絵にしか見えない。これと対照になるのは濃い青色の暴力畫面だ。破滅の道は西が自分から選んだのと思う。妻と同僚への愛と恥だからかもしれないが、西が初めから最後まで表してるのはためらいのなく絶望的な抵抗だろう。初めてヤクザを殺すとき、光が足りるレストランでするのに、色の調(diào)子が濃い青色にした。雪の積もったところでヤクザ何人と銃撃戦の時のトーンも同じく濃い青色だ。これで冷え切っている、厳粛な雰囲気を作り、主人公の破滅の道を選ぶ決意を示すことができると思う。
色彩への條件反射
人間が感じる數(shù)えきれない色彩の本質(zhì)は周波數(shù)が異なる光波である、それぞれの光波が眼にある感受器に遭い、「共振」ができてから、我々は色を気づき、分けて始めた。光は光波のエネルギー性と粒子性(実體性)が原因で、眼が光と接觸する時エネルギーや粒子が転送されたのが分かりやすい。物理學(xué)の面のほか、心理學(xué)の面では、人が生きてきた環(huán)境から経験や文化により物事に対する認知が形成し、條件反射と言われる。色彩にも條件反射がある。考えてみれは、なぜ禁止や危険の目印がアカや黃色にするのか、先祖が黃色いと赤い火でやけどしてしまい、危ないイメージが赤と黃色につけられたからでしょう。そのため、人類が進化する、経験を伝承する過程中、色彩への共有している條件反射ができたと言えるだろう。勿論、各民族、各地域の人或は各時代の人には、各色に関する感じも違うのだ。したがって、色彩が生理的も、心理的も人にパワーがあり、蕓術(shù)等の分野で気持の伝達する方法として、色彩の使用が生かされている。⑤「キタノブルー」の表現(xiàn)力様々な色に満ちた『ドールズ』以降、北野武が「キタノブルー」を強調(diào)しなくなっているが。彼前述の三つの作品で「ブルー」はもはやメインイメージとして作品の核心の思想と結(jié)びついているだろう。ブルーという色彩はクロマティックサークルで、寒色の中間色であり、水、空、氷河、夜を思い出される。日本は海に囲まれる島國で、海に恵まれてきた。昔は海の気候の調(diào)子により、出漁するタイミングを判斷し、生きてきたから、海のブルー系の色に対し、特別で、敏感な感覚が生じていただろう。収縮色であるブルーは靜かで、冷靜でディープなブルーが圧力もあると感じられる。畫面の全體的なトーンが違うブルー系の色に変わることで主人公の気分の変化を表現(xiàn)し、ストーリーの展開を推進する、代表的な小道具をブルーにすることで小道具の物質(zhì)を超える抽象的な意味も色濃くなるだろう。これらは見えなく、觸れない感情の具體化表現(xiàn)ではないかと思う。いつの日かあの夏のブルーの海に行ったり、ブルーの風(fēng)鈴をもらったり、ブルーの夜に入ってしまったりする時、この三つの映畫を思い出し、自然と感情移入ができるだろう。
本文は「キタノブルー」という言い方を三つの代表作を使い、具體的に分析し、北野武の90年代の映畫の色の使用し方とその効果を考えてみようとした。色彩は蕓術(shù)作品の感情具體化や、深さを記號化することへの作用を覗くこともできる。蕓術(shù)鑑賞や創(chuàng)作に少しでも參考になればと思う。
參考文獻:
[1]同じくブルー系のポスター.
[2]“キタノヨウゴ” (日本語).SmaSTATION テレビ朝日. 2010年12月25日閲覧.
[3]「黒澤明が語る日本映畫論」.
[4]康路《花火》——北野武的色彩策略評析[J].劇影月報,2006.
[5][美]帕帝貝蘭托尼.不懂色彩不看電影[M].世界圖書出版公司, 2014.
[6]日本映畫史100年(集英社新書)新書–2000/3 四方田 犬彥(日).
[7]「孤 獨」(ロッキング·オン)2002北野武(日).