羅宵月
【摘 要】本論文は中日両國の非言語行動についてのいくつかの面を述べる。同じ行動を始めから、別々に両國異文化の表現(xiàn)および特徴を述べ、、中のつながりと異なりを探し、比較し、それによって、非言語行動が異文化コンミュニケーションにおいて重要な役割を果たしていることを証明する。
【關鍵詞】非言語行動;異同點;日中両國
「ボデイ·ランゲージは、非言語行動コンミュニケーションの分野に屬し、人々が社會的なコンミュニケーションを行うときに用いられている記號である。」(注:原文は中國語、日本語訳は筆者による)つまり、人類に共通した部分があるが、しかし、その多くはその民族の獨特な歴史や社會環(huán)境によって、伝承されたものである。
同じく、コンミュニケーションを行う場合、対人距離、物品表現(xiàn)メッセージ、などという非言語行動はある意味、さまざまな役割をする。だからこそ、われわれは非言語行動の詳細性を理解する必要がある。
一、対人距離
コンミュニケーションを行う場合、相手とどれだけの距離があるかによって、立場や親近感の度合いが表現(xiàn)される。友人関係においては、近づきすぎると、なれなれしいと思われたり、離れすぎていると、よそよそしいと思われたりする。
中國人と日本人のコンミュニケーションにおいて、日本人が戸惑いを感じることの一つは、中國人の対人距離は日本人より近いということがあげられるようである。こちらの大學で講義を擔當している日本人の先生たちに聞いてみたら、「こちらでもう何年も仕事をしているが、それでもなれないことの一つは、學生から質問を受ける場合、中國人の學生のとる距離は近すぎるということであり、場合によって、身體接觸もあるほどである。學生のほうは別に悪意もないし、無意識な行動なのでこちらはあまり後ろに引き下がるのもなんだし、……」という答えがかえってくることがある。
「一般に日本では日常會話の標準的な距離は、一メートルぐらいとされている。自分の息が話し相手にかからないほどの距離をとらなければならない?!?それに比べて、中國の場合それよりかなり近い。
そして、中國において、同性の友達同士が手をつないだり、腕を組んだり、肩を組んだりすることがよくあるが、それは日本人から見れば、やはり異様に感じられる。日本人は常にお辭儀をする民族だといわれている。同時に、お辭儀をする國は、キスや、握手をする國と比べて、もっと広い人間交際空間が必要である。出會うとき、中國人はまず儀禮として、握手をする。それは日本人にとって、なんだか心地よくないと思われる。日本人にとっては、禮儀正しい適切な距離がある。禮儀ただしい距離というのは社交距離あるいは業(yè)務距離であり。これからますます大きくなっていくだろう。
人間関係は非常に複雑であり、対人距離もそれぞれ異なる?!敢话愕膜搜预à?、感情の親しさ、関係の遠さ、場合と會話の內容の違いによって、対人距離に影響を與える?!?社會のコンミュニケーションの中で、われわれは個人の空間が公共の空間に合わせなければならない、一方、異なる文化を理解する必要もある。適応的な対人距離は人間の交流の順調に進める。逆に、不適切な対人距離は交流をさまたげるばかりでなく、誤解、不利を産む。
二、物品表現(xiàn)メッセージ
日常生活において身に著けているものや、用いる品物は文化を象徴し、異文化コンミュニケーション上、興味深い問題を提起している。
日本人は學校、あるいは體育館や図書館のような公共施設に入るときなど、一日のうち、何回もスリッパに履き替えたりするし、男の人の場合、容易に靴を脫ぎ、食事をしたり休憩を取ったりするようなときには、靴下だけになったり、裸足なったりする。スリッパ姿でキャンパスの中を歩いたり、講義や仕事をしたりする。そして、靴下だけはいた足や裸足をさらすことはあまり気にしないし、他人に不快を與えることもないようである。
そして、日本では學校で、スリッパに履き替えるのは、室內の衛(wèi)生を保つのが目的の一つであるが、それよりさらに重要な役割の一つには、內側と外側を區(qū)別させるということがあるように感じられる。なぜなら、スリッパを履いたまま部屋を出てキャンパスの中を歩きまわったりしているからである。時に、スリッパ姿でキャンパスを走っている人を見かけたり、その足音が教室まで聞こえたりするが、とても不思議で危なっかしく感じる。
そして、日本人の観光客や留學生たちは、海外に出かけても、自分の國にいるように、観光バスなどの公共交通手段を利用したり、教室で他の國の人と一緒に勉強したりする場合でも、簡単に靴を脫ぎ、イスの上にめぐらをかいたりする。スリッパ姿についての認識は文化背景によってさまざまであろう。
中國において、靴を脫ぐのは、自分の家のような私的な場所に限られる。スリッパ姿については、自分の家のような私的な場所に限られる。スリッパ姿については、學校の規(guī)則やホテルなどの注意事項では、「スリッパ姿では入ってはいけない」と明記してあるように、正式な公的な場所では、避けるべきものとなっている。
経済が急速に発展し、人々の生活が豊かになり、リフォームなどの內裝工事が都會では極普通になってきたため、多くの家ではスリッパに履き替えるようになった。しかし、自分の家でスリッパを履くのはいいが、他人の家でスリッパに履き替えるのに抵抗を感じ、「もし誰かの家でスリッパに履き替えろと言われたら、これからもその家に行かない?という人もいるほどである。その一方、本當のところ、ハイヒールなどのお客さんに土足のまま入られたら、後始末は大変だし、床に敷いてあるものを心配し、はらはらしているが、お客さんにスリッパを勧めないことを禮儀と考え、遠慮することもある。
他人の前で足をさらすのに羞恥を感じる、という古くからの考えが、まだ根強く殘っていると考えられる。もっと現(xiàn)実的になり、合理的に考え、あまり神経質にならないほうがいいと思うが、習慣勢力や固定観念というものは、すぐには変わらないようである。
日本と中國の非言語行動の異文化を比べ、文化の社會背景は深い絆を持っているが、異なるところも多くあるとしみじみ感じる。そのため、いろいろ非言語行動という小さなところから、文化の異同點をよく理解しなければならない。
【參考文獻】
[1]田中春美.社會言語學への招待[M].シネルウァ書房,2000:199.
[2]王秀文,孫文.《日本》——文化與跨文化交際[M].世界知識出版社,2004.