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      「てやる」の恩恵表現(xiàn)の用法

      2017-10-25 12:52:32高烏蘭
      校園英語·上旬 2017年11期
      關(guān)鍵詞:用例用法利益

      【要旨】授受補(bǔ)助動詞の「てやる」について、これまで、多くの研究者に取り上げられ、様々な観點からの考察がなされているが、その恩恵性が中心概念となっている。本稿は授受補(bǔ)助動詞の「てやる」を考察対象とし、その恩恵性を巡って恩恵表現(xiàn)の意味用法を再分類することに試み、その意味用法の拡大を確認(rèn)したい。

      【キーワード】てやる、恩恵表現(xiàn)、用法

      1.はじめに

      「てやる」の意味用法に関する先行研究に松下(1928)、鈴木(1972)、豊田(1974)、森田·松木(1989)、由井(1996)、山田(2004)などがある。もっとも初期の研究として、松下(1928)が挙げられる。松下(1928)は、「てやる」を利益態(tài)と稱し、「利益態(tài)とは動詞の一相であって其の作用が或人の利益となることを表すものである?!工戎刚工?。すなわち、「てやる」は恩恵を表す用語であるとの先見的な観點である。鈴木(1972)、森田·松木(1989)は「てやる」に恩恵を表す用法以外、恩恵を表さない用法もあると提示する。豊田(1974)はこのような不利益な意味が生じる理由を説明しようと試み、由井(1996)、山田(2004)などへ続く。本稿で、「てやる」の恩恵表現(xiàn)用法を取り上げ、それを細(xì)分類することに試む。

      2.「てやる」の恩恵表現(xiàn)の分類

      「てやる」の恩恵表現(xiàn)の分類にあたって、まず、「主語」と「二格補(bǔ)語」が有情者か無生物かに著目したい。「主語」が有情者の場合をさらに、「二格補(bǔ)語」が実際に利益を受ける場合と実際に利益を受けない場合と二分に細(xì)分類する。また、「二格補(bǔ)語」が無生物の場合は、無生物であるため、「主語」の行う動作·行為によって利益·恩恵を感じることができないと考える?!钢髡Z」も「二格補(bǔ)語」も無生物である用例は、それほど多くないが、何例かあるため、それも含めて考察を行う。

      2.1 主語と二格補(bǔ)語が有情者であり、二格補(bǔ)語の人物が主語の人物の動作·

      行為によって実際に利益·恩恵を受ける場合

      「てやる」文は(1)(2)のような、主語の人物が二格補(bǔ)語の人物のために、ある動作·行為を行い、その動作·行為が二格補(bǔ)語の人物に利益·恩恵を與えることを表す場合がある。このような用法は「てやる」の典型的な用法である。

      (1)まず午前中にアメタイから電話があり、行ってみると、アナタノコミュニストトシテノ経験ニツイテ率直ニ語ッテモライタイというのだった。オソラクスベテハ調(diào)査ズミダトオモウガ、とぼくはいい、いかにも率直に、かれらの知りたがっていることをしゃべってやった。そしてアンポ以後ぼくがいかにアンタイ·コミュニストで、いかにフリーダムを――このことばを、ぼくは最高の熱意と敬虔さをこめて発音した――愛する人間であったかを強(qiáng)調(diào)した。 (倉橋由美子 『聖少女』)

      (2)シゲ子と矢須子は、著たきり雀でいるのだから、シャツや下の物を洗って干すまでどうするかと、ひそひそ相談をはじめていた。川原へ行って身ぐるみ脫いで洗い、渇くまで水泳していればいいのだと教えてやると、二人は手拭を持って出て行った。(井伏鱒二 『黒い雨』)

      用例(1)は主語の人物「ぼく」が二格補(bǔ)語の人物「かれら」に「かれらの知りたがっていること」をしゃべることが二格補(bǔ)語の人物の「かれら」のためであり、二格補(bǔ)語の人物も「しりたがっている」ことを言ってもらったからその動作·行為を利益·恩恵と捉えている。(2)も同様に、「シャツと下の物を洗って干すまでどうするか」と困り、相談していた二格補(bǔ)語の人物の「シゲ子と矢須子」に主語の人物「話し手」が「水泳していればいい」と提議したことが「シゲ子と矢須子」にとって利益·恩恵であることを表す用法である。(2)のような用例の文中に、主語の人物が明示されていないが、主語が話し手であるので、話し手を主語の人物とする。以下、文中に主語の人物が明示されていない場合は、主語が話し手であると見なす。

      2.2 主語と二格補(bǔ)語が有情者であり、二格補(bǔ)語の人物が主語の人物の行う動作·行為によって実際に利益·恩恵を受けない場合

      (3)「へえ、あんたこの田舎のどこがよくて、この上四、五年もいるつもりなんや。ま、ここがええなら、それもええ。じゃ東京からいい嫁はんを連れてきてやるわ」……

      「隆士にいさん、ぼくには結(jié)婚する人が決まっています」

      (三浦綾子 『塩狩峠』)

      (4)ぼくは、億劫そうにして身をかがめると、その紙入れを拾いあげて彼女に返してやった。他意ないことを示すためにぼくは、紙入れの一番のはしっこをつまんで、できるだけ身體から離して持ったのだが――しかし、ぼくの近くの者はみなその女までも含めて、やはりぼくを疑っていた。

      (フィッツジェラルド(著)野崎孝(訳) 『グレート·ギャツビー』)

      用例(3)の主語の人物の「話し手」が二格補(bǔ)語の人物の「ぼく」に「嫁はんを紹介する」との動作·行為を行うが、二格補(bǔ)語の「ぼく」が「もうすでに結(jié)婚する人が決まっている」ことから話し手の行う動作·行為が二格補(bǔ)語の人物にとって利益·恩恵にならないことが読み取れる。(4)も同様に、主語の人物の「ぼく」が二格補(bǔ)語の人物「彼女」のために「紙入れを拾って返す」動作·行為を行うが、その動作·行為に対し、二格補(bǔ)語の人物「彼女」は主語の人物「ぼく」に「疑う」態(tài)度をとる。そのため、主語の人物の行う動作·行為を二格補(bǔ)語の人物が利益·恩恵と捉えていないことがわかる。

      2.3 主語が有情者で二格補(bǔ)語が無生物であり、二格補(bǔ)語の物が主語の人物の動作·行為を利益·恩恵を感じない場合

      このような用法は二格補(bǔ)語の物が無生物であるため、主語の人物の行う動作·行為が自分にとって利益·恩恵であるかどうかを認(rèn)識できない。endprint

      (5)こうして、(マサックル→犬の名前)一晩じゅう、訴えるような、痛ましい聲で鳴きつづけていた。そして、ときに一時間ばかり鳴きやんでいるかと思うと、また、これまでよりもいっそう悲痛な聲をしぼりあげて鳴いた。そこで家の前の空樽のなかに縛りつけておくことにした。すると窓の下でほえたてた。からだもひどく衰弱していたし、ほとんどもう死にかけていたので、ふたたび臺所に入れてやった。

      (モーパッサン(著)新莊嘉章(訳) 『女の一生』)

      (6)茄子は莖だけ潅木のように大きくなり、あまり実はならなかったが、水をかけてやると何回でも花を咲かせた。

      (北杜夫 『楡家の人びと』)

      用例(5)は主語の人物である話し手が「死にかけていたマサックルを家の前の空樽のなかから臺所に入れるが、二格補(bǔ)語の物である犬の「マサックル」は動物であるため、その動作·行為を利益·恩恵と感じていると言い難い。(6)も同様で、話し手が二格補(bǔ)語の物である「茄子」に「水をかけることによって、茄子は何回でも花を咲かせたことが、茄子が利益·恩恵と感じているとは言えない。

      2.4 主語と二格補(bǔ)語が無生物であり、主語の物が二格補(bǔ)語の物のために動作·行為を行わず、二格補(bǔ)語の物もその動作·行為を利益·恩恵と感じない場合

      「てやる」の恩恵用法に、(7)(8)のような、主語の物が無生物である場合もある。主語の物が無生物であるために、動作·行為を行うことが想定しにくいし、二格補(bǔ)語の物が無生物であるため、利益·恩恵を感じているとも言い難い。1

      (7)森の中の木蔭が,小さい動物たちを守ってあげているのである。

      (山田(2004))

      (8)煙草はえらいですよ。夏の暑いさかりに芽を摘む時なんか、木と木との間をまるで這い廻るようにしてやるんです。著物のはしにちょっと觸れただけでも葉の裂けることがありますからね。(島木健作 『生活の探求』)

      用例(7)(8)は主語の物の「木陰」「煙草」が二格補(bǔ)語の物の「小さい動物たち」「木」のために、動作·行為を行うことが想定しにくい。また、二格補(bǔ)語の物の「小さい動物たち」「木」がその動作·行為を利益·恩恵と考えることもあり得ない。

      3.終わりに

      本稿は、「てやる」の恩恵表現(xiàn)の意味用法を分類した。「てやる」の恩恵表現(xiàn)の分類にあたって、まず、主語と二格補(bǔ)語が有情者か無生物かに著目し、二格補(bǔ)語が有情者の場合をさらに、二格補(bǔ)語が実際に利益を受ける場合と実際に利益を受けない場合とに分類した。また、「二格補(bǔ)語」が無生物の場合は、無生物であるため、「主語」の行う動作·行為によって利益·恩恵を感じることができないと考える。「主語」も「二格補(bǔ)語」も無生物である用例も含めて考察した。今後の課題として、「てやる」の非恩恵表現(xiàn)、そして、「てくれる·てもらう」の恩恵表現(xiàn)や非恩恵表現(xiàn)について研究に取り組みたい。

      參考文獻(xiàn):

      [1]井島正博(1997)「授受動詞文の多層分析」『成蹊大學(xué)文學(xué)部紀(jì)要』32.

      [2]伊藤博美(2010)「授受構(gòu)文における受益と恩恵および丁寧さ―「てくれる」文と「てもらう」文を中心として―」『日本學(xué)論集』6.

      [3]大江三郎(1975)『日英語の比較研究―主観性をめぐって』南雲(yún)堂.

      [4]岡田久美(1997)「授受動詞の使用狀況の分析―視點表現(xiàn)における問題點の考察」 『平成9年度日本語教育學(xué)會春季大會予稿集』.

      [5]奧津敬一郎(1983)「授受表現(xiàn)の対照研究―日·朝·中·英の比較」『日本語學(xué)』2巻4號 明治書院.

      [6]奧津敬一郎(1984)「授受動詞文の構(gòu)造―日本語·中國語対照研究の試み―」『金田一春彥博士古希記念論文集 第二巻き言語學(xué)編』三省堂.

      [7]奧津敬一郎(1986)「やりもらい動詞」 『國文學(xué) 解釈と鑑賞』51巻1號.

      [8]紙谷栄治(1975) 「補(bǔ)助動詞「やる·もらう·くれる」について」『待兼山論叢』8.

      [9]久野 瞕(1978) 『談話の文法』大修館書店.

      [10]古川俊雄(1995) 「授受動詞「くれる」「やる」の史的変遷」『広島大學(xué)教育學(xué)部紀(jì)要』44.

      [11]古川俊雄(1996) 「通時的観點から見た現(xiàn)代日本語における「てくれる」の特殊用法」 『広島大學(xué)日本語學(xué)部教育學(xué)科紀(jì)要』6.

      作者簡介:高烏蘭(1981-),女,內(nèi)蒙古自治區(qū)通遼市科爾沁左翼中旗人,文學(xué)碩士。2002年赴日留學(xué),畢業(yè)于大阪市立大學(xué)文學(xué)研究科日本語言文學(xué)專業(yè),獲文學(xué)碩士學(xué)位。自2014年起在呼和浩特民族學(xué)院外語系日語專業(yè)擔(dān)任日語專職教師。2015年參與省部級課題《內(nèi)蒙古民族文化建設(shè)研究工程翻譯系列項目》;2016年參與省部級課題《全國大中專院校蒙古文教材 日語讀解 第三冊》的編寫工作。職稱:助教研究方向:日本語言學(xué);日語教學(xué)。endprint

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